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高地スタジアム禁止問題
2007年5月、FIFAがメキシコや南米アンデス地方の高地にあるスタジアムでの国際試合を禁止する規定案を出し、その限度基準や該当するスタジアムが二転三転しました。メキシコも、海抜2680 m のトルーカが規定に引っかかるため、ニュースを追い続けました。その混乱振りはブログ記事からどうぞ。
その1 その2 その3 その4 その5
ホーム&アウェイで試合をすることの意味をどう捉えるか? いろいろな議論が白熱しました。
結局その後どうなったのかはよくわかりませんが、2009年の南米予選は普通に高地スタジアムでも開催されているようです。
帰化人代表選手問題
2006年W杯で、メキシコ代表は二人の帰化人選手を招集。そのあとに代表監督に就任したウーゴ・サンチェスは、以前は帰化人選手を口うるさく批判していました。そのあたり、外国人としてメキシコに生活する私にとっても、他人事ではない問題で、何度か話題に。
◎ 国籍について◎ 帰化人というスペイン語について
カルモナ問題
2007年5月、クルスアスル所属のDFカルモナがドーピング疑惑でプレイ停止処分を受けたのに、クルスアスルはそれを無視してリギージャの試合にカルモナを起用。それによってクルスアスルはリギージャを問答無用敗退処分、カルモナは生涯サッカー界から追放となりました。いい選手だっただけに、スキャンダルとなった悲しい事件でした。当時の記事をまとめておきます。
◎ 事件発覚◎ 諸事情の解読◎ その後の諸問題
(2009年現在、カルモナはメキシコサッカー協会を相手取って訴訟を起こしているようですが、どう転んでもサッカー選手として復帰する可能性はないのではないかと思います。)
コンカカフかコンメボルか
メキシコは正式にはコンカカフ(北中米カリブ海連盟)所属ですが、コンメボル(南米連盟)の大会にも多く参加し、徐々に招待チームではなく正式な参加チームとしての権利を獲得しつつあります。が、そこには当然、選手たちへの負担や両連盟のプレッシャーなどの問題も。
◎ 2008年9月、コンカカフがメキシコにないがしろにされているとおかんむり◎ 2007年12月、コンメボルがメキシコメディアの態度が悪いとおかんむり(記事後半)
2008年五輪予選敗退
ウーゴ・サンチェス監督のもと、メキシコはそのサッカー史上まれに見るスキャンダルと言われる五輪予選敗退を果たしました(2008年3月)。オリンピックが始まってみると、メキシコが敗退したことは意外と認識されていなかったようなので、簡単な経緯をまとめた記事を書きました。
◎ 五輪予選を敗退した経緯(メキシコブログ)
豚インフルエンザとその後のコンメボルとの関係(2009年)
2009年4月末にメキシコから大勢の死者を出す豚インフルエンザ(のち「新型」に改名)の存在が発表されました。その影響で国内開催の試合がいくつか中止および延期となり、さらにはコンメボルとの揉め事にも発展。メキシコはコンメボルとの断絶を宣言。しかしその後あっさり仲直りしたと思ったら、今度はコンカカフから横槍が入り……。とにかくいろいろありました(現在進行形)。
◎ 4月25日の時点で国内リーグの一部の試合が無観客に◎ ティファナ開催のU-17W杯予選がグループリーグのみでトーナメント中止に◎ コンカカフCLの決勝が延期に、国内リーグがさらに無観客試合に(コメント欄でリベルタ杯も)◎ リベルタ杯トーナメント出場したチバスとサンルイスがボイコットに◎ メキシコチームがリベルタ杯を辞退することに決定◎ メキシコサッカーはコンメボルすべての大会から引き上げを表意(5月)◎ メキシコとコンメボル、案外あっさり仲直り(6月)◎ コンカカフがメキシコの南米杯参加を中止要請(7月)◎ コンカカフの言い分(いまだにいろいろはっきりせず、霧の中ではあります)
他にもメキシコサッカー史を彩る(?)事件やスキャンダルはいくつかありますが、ぼちぼち記事にしていこうと思います。
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